真田忍隊結成の次の夜のこと。佐助は師匠に秘密裏に呼び出されていた。
「佐助、忍びになるための最後の任務だよ。
これが終われば晴れて忍隊の長として活躍の場が与えられる。しっかりね」
佐助は絶句した。
「鎌・・鎌も忍隊のひとりじゃあ、ないんですか・・・?」
師匠はにこにこと穏やかな相好を崩さない。
しかし師弟として何年も付き合ってきたから分かる。この人はいつも変わらない笑顔で、人の命を左右する言葉を口にするのだ。
「うん?やっぱりちょっとびっくりした?でもね、あいつも所詮は下賎の身。己が運命と諦めるだろうさ」
ダメ押しとばかりに、師匠はもう一度告げる。

「今より即刻、由利鎌之助を殺しなさい。

忍びにいちばん必要なものを鍛えるための、これが最後の試練だ。なに、佐助ならできるよ。
まさかとは思うけど・・負けたらだめだよ?」
最後の一文に重たい意味を含ませて、師匠はにこにこしている。
そう、ここでは負ける忍など必要ないんだからね。まるでそうとでも言いたげな穏やかな表情。
ひとの目の奥に潜む昏い光というものを、佐助ははじめて目にした気がした。

外に出る。日は暮れて夜が訪れていた。
月が見えなかったので、雲のすきまからかすかに漏れる月明かりだけを頼りに師匠のお屋敷を出ると、
「おう。佐助か」
案の定鎌之助がそこにいた。散歩の途中にでも出くわしたかのような気軽さで会釈する。
「鎌・・・」
佐助は戸惑った。いま一番会いたくない人物だったのに。
「どうした?そんな暗い顔して。なんぞあったんか。ん?」
言いながら今しがた佐助が出てきた屋敷を一瞥すると、
「ああ・・お師匠さんに話を聞いたんか」
少しだけ顔を曇らせて頭を掻いた。鎌も聞いたのか。あんな理不尽な話を。
「鎌、俺は・・」
出かけた言葉を、鎌之助はその大きな手で制した。緩慢な動作の中に有無を言わせぬ雰囲気がまとわりついている。
「佐助、みなまで言うな。おぬしの言いたいことは百も承知だあよ。

だから・・・」















「佐助・・佐助・・・」
うわごとのように弱弱しく呟く幸村を、佐助はただ優しく受け止めた。
すると次の瞬間、


とす


矢がやわらかいものに刺さるような音がした。同時に感じた背中の鈍い痛み。それらは無関係ではなく、
「なにこれ・・針・・・?」
矢だと思った音の正体は針、のような物体だった。といっても裁縫に使うような小さなものではない。
いま佐助の背中に刺さっているものは、針と断定しかねるほどの規格外の大きさである。佐助は一目見てピンときた。昔里の巻物で見たことがある、これは暗器だ。人を殺すための道具。
「刺したのは・・」
「・・馬鹿な男だ」
白い煙がどこからともなく唐突に立ちこめ始める。目の前の幸村が、いや、幸村の姿かたちをしていた何者かは一気に煙に包まれた。
まばたき二つほどの瞬間に現れたのは、

「かすが・・!?」
敵方の総大将・上杉謙信の傍で仕えているはずの同郷・かすがだった。日本人離れした目鼻立ちは相変わらず健在で美しい。
が、今は眉を顰めた不機嫌な表情のせいで魅力が半減している。
「本当におまえは・・!なんて不愉快な男なんだ!見破っていたんじゃないのか!?」
かすがは怒り心頭でなりふり構っていられないのか、力いっぱい佐助をにらみつける。頬が赤いのは興奮のあまりなのか怒りの体現なのか判別は難しい。
「・・なんのことだよ、かすが」
「気安く名を呼ぶな!とぼけるつもりか!?いつから気づいていたんだと聞いているっ!」
「・・・・・」
佐助は僅かに目を伏せた。
かすが。関係ないんだよ。
心の中で静かに呟く。
旦那が偽者だろうとなんだろうと構うもんか。それが幸村の姿かたちをしていれば、俺はもう殺せない。
気づいてようがいまいが、どっちだって同じこと。
「だったら俺だって聞きたい。俺様が見破ってるのを知っていながら変装し続けるなんて、自殺行為だぜ?そんなに」
そんなに死にたいのかよ、と言おうとしてごほ、と嫌な咳が出た。佐助はとっさに手で口を押さえる。喉の奥から少しだけ苦い味がした。
血の味だ。

「こいつはヒドいねえ・・」

思い出した。これは先端に致死量の毒が仕込まれた毒針だ。暗器はふつう隠密行動に使用するので、相手を即死させることを前提に作られている。
ただひとつ、これを除いては。
「あとからじわじわ効いてくるタイプか・・簡単には死なせてくれないわけね」
力を入れて背中から自分で針を引き抜いた。少し遅れて血が伝う感触を背中に感じる。あまり気持ちのいいものではない。
「わざわざ里からこんなもの持ち出しちゃって・・ごっほ!そんなに里が恋しかった?」
「大嫌いだ!あんな陰気な場所!」
「・・俺もそう思う。だって俺様、師匠殺したくらいだから、さ・・ごほっ!」
ごほごほ!
佐助はなおも嫌な咳を止められない。うっすらと汗さえ浮かべているその口の端から血が少し流れた。
かすがの顔が歪む。
「おまえがけ、謙信様を!手にかけさえしなければこんなことには・・!」
泣いてるみたいだな、と佐助は思う。さっきの変装は見事としか言いようがないが、半分は演技でももう半分はきっと地だったのだろうか。
だってしょうがないじゃない。任務だったんだよ。それを全部俺様のせい、だって?

ああ。
だんだん視界がぼんやり霞んできた。立っていられるのが不思議なくらいだ。
「か・・すが」
「だ、黙れ!今すぐその煩い口を閉じろ!とどめを刺してやる!!」
声は震えている。




そして佐助の首にくないが当てられた。













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