世界は快晴でできている
わたしのいちばんが、
あなたであるという幸せ。
戦のない日はお館様の家で待機するか、各所にある武田軍配下の武将の屋敷に居座るのが常だ。
今日はもう何度目の対決になるか分からないほど争ってきた好敵手・上杉謙信率いる上杉軍をどのように攻めるか軍議をする予定になっている。それでも武士たちにとっては数少ない貴重な安息日であるのだが。
そしてそんな日に、縁側に座り何をするでもなく庭を見つめる幸村がいた。
佐助はおや、と思った。臣下である自分からどう贔屓目に見ても『戦バカ』としか言えないあの人がこんな風にぼーっとするのは珍しい。いつもなら「いつかお館様を超える男になるのだああ!」とか言って鍛錬を欠かさないはずなのに。
「旦那、豆大福食べませんか?」
そしていつもならひとり剣の稽古をする幸村に声をかけ、佐助お手製のお菓子を一緒に食べるのが当たり前の日課のようになっていたはずだ。
今日は少しだけいつもと違っている。
「佐助」
ここで初めて幸村が振り向く。
「いたのか、佐助」
考え事をしていて気づかなかったのだろうか。ほんとうに珍しい、こりゃ明日は雨だわ。およそ部下らしからぬ発言をしそうになり寸でのところで思いとどまる。
「ええ、呼ばれりゃすぐに飛んでいけるようにそばにいますからね。いつ上杉軍の奇襲があったっておかしくないでしょ?」
はい、これ。
佐助は自慢のスイーツを差し出す。幸村はいつものように素直に受け取った。
「旦那の好きなこしあんですよ」
言いながらお茶も淹れて出す。幸村はすでに一個目をひと口で口に入れてしまい、もごもごさせながらお茶を受け取った。誰が見てものどに詰まらせるんじゃないかと心配するくらいの食べっぷりである。もちろん佐助もその例外ではない。
「佐助は、」
言いかけて、幸村は突然ごほ、ごほっと苦しそうなせきをした。早速のどに詰まらせたらしい。
「ああもう心配してるそばからやらかすんだから?お茶!お茶飲んで!ほら!」
佐助は背中をさすってやりながら、お茶を飲むよう懸命に促す。幸村はあわててお茶を一気に飲み干した。それでやっと口の中がからっぽになったようだ。
「かたじけない・・・拙者のかっこ悪いところを見られてしまったな・・」
そう言う本人は本気でばつが悪そうにしている。そのしゅんとした様子が叱られた犬を連想させたために、佐助はぷっ、と吹き出しそうになった。そうならなかったのは日ごろの修行の成果だろうか。本人にはバレていたが。
「む、何がそんなにおかしいのだ、佐助!」
「いいええ、ただこんな日も平和でいいなあと思って」
ごまかすつもりで言ったのに、幸村はそうだな、と真面目に返してくる。
「あ、そういえば。さっきなんか言いかけてましたね、旦那?」
すると幸村はむ、と難しい顔をした。そして大したことではないが、と前置きして切り出した。
「佐助はなんでもできるのだな」
「?まあ・・」
何を言い出すんだろう。幸村の言わんとしていることは読めないが、確かに戦がないときでも自分は忙しい。
武田軍は、というか戦の行軍は男所帯である。しかし誰かがご飯を作らなければならないし洗濯ももちろん必要だ。信玄公はそんなことしたこともありませんってな顔してるし、幸村だって包丁すら握ったことがないだろう。
となるとどちらかといえば綺麗好きで、料理もある程度できる自分がやらざるを得ないという当然の結論にたどり着く。誤解されがちなので言っておくと、料理も洗濯も好きで身につけたわけではない。ただ忍の訓練の一環として身に着けただけだ。思ったより楽しいので、今は自ら役目を買って出ていることもある。
「しかし拙者、戦以外はなにもできぬ。こんな日はただ次の戦に備え鍛錬に時間を費やすのみだ。それで・・それが武将として正しいのだと思ってきた」
佐助は少し、いやかなり驚いた。いつもお館様の背中を追いかけがむしゃらに突き進むばかりの自分の主人が、よもやこんなことを考えていようとは。そしてとうとうと語る幸村の口調からは、いつもの有り余るほどの覇気が感じられない。というか、らしくない。
「拙者はお館様のような器のでかい男になりたい。父上も尊敬している。しかし拙者はどうなのだ?真田忍隊をまとめる主君として、どうなのであろうな」
戦いの中に身を置いているとき、常に幸村は全力で槍をふるい敵と対峙する。余計なことを考える暇はないだろう。それは幸村の性格に起因すると同時に、一瞬の隙や油断が命取りになることをよく知っているからだ。戦に出たことのある者なら、誰もが理解していること。
だがこんな平和な一日を過ごすとき、幸村にも魔がさす瞬間があるということだろうか。いつも前ばかりを見てきた幸村でさえ。
俺の主人はまあ、いつの間にずいぶん成長してたんだねえ。
妙な感慨にふけりながら、佐助は幸村の父から忍隊隊長に指名された日、同じ仕事仲間に言われたことを思い出した。
あれはのちに真田十勇士と呼ばれるひとり、由利鎌之助と2人きりのときだったろうか。
「よう、めでたいじゃねえか佐助!今夜はきっと赤飯が出るぞ」
がはは、と豪快に笑いながら俺の肩をたたく鎌。大柄な男でおよそ忍者らしくない奴だったけれど、なんとなく馬が合うのでたまに話す機会があった。酒を酌み交わしたのはそのときが初めてだ。
「お前ねえ・・俺をダシにして主君から施しを受けようとか考えてるでしょ」
大げさにため息をついて見せたところで、この豪胆な男は微塵も気にしないだろう。
「はっは、んなこたねえよ。俺は食うところと寝るところさえくれりゃあ御の字だあね。
まさか俺まで真田忍隊に抜擢されるとは思わんかったしなあ」
いい月が出ていた。今が十五夜だったら、さぞ人々の注目を浴びただろうに。
皆は宴の準備で忙しいから、このみごとな満月を楽しんでいるのはきっと俺たちだけだ。
「鎌は昔から真田の父君によく仕えてたろ?
・・俺が隊長ってのに異論はないけどさ、その辺ちょっと理不尽じゃない?」
それはずっと思っていた本音だった。いささか忠誠心とか使命感に欠ける自分が、まさか隊の長とは。
「お前さん、甲賀流きっての実力者なんだろ。だったら信頼されてもおかしくねえじゃねえか」
「俺まだ中忍なんだけどなあ」
「ははは、そうかそうか!」
鎌は小気味よいくらい大声で笑う。それから唐突に笑い声は途切れた。鎌が急にまじめ顔になって俺に問いかける。
「佐助、お前が真田に仕えるのはなにゆえか?」
「へ?」
そのときの俺は、とっさに鎌に返せるだけの答えを持っていなかった。
「俺は単純だからな、真田の若様に命を助けられたから一生ついていこうって覚悟決めたんでさあ」
その話は聞いた覚えがある。もともと鎌之助は暗殺を主に行う敵方の上忍だったのだが、諜報活動中に真田の旦那に見つかってしまったらしい。自らの失態は自らの死で償うのが忍の掟だ。毒を飲んで死のうとした鎌之助を、けれど旦那は槍で制して留めた。
『何故命を捨てる?お前の血が流れて喜ぶ人間などいるものか!』
『・・・』
『それでも死ぬというのなら・・死んで生まれ変われば良い。
生まれ変わって拙者とともにお館様にお仕えする気はないか?お館様が天下をとればもう多くの血が流れることはなくなるのだぞ!お館様はそういう男だ!』
「ふっふ、今考えればなかなかに臭いセリフだあな」
「・・真田の旦那、結構いいこと言ってるじゃない」
おそらく当時、旦那は16歳とかその辺りだろう。年齢の割りに立派な志である。お館様大好きなとこは変わってないなあ。
「あ、でな、佐助。俺は回りくどいことが好きじゃないんだが・・俺はお前を個人的に好いているし、その、飄々としてて冷静に割り切った考えのできる強さってのがあると思うんだな。でも隊長になって働く以上、生半可な性格はいつか身を滅ぼすのではないかとも思う。
お前は一度、自分が何のために働いているのか考えたほうがいいんじゃあないんか?」
最近やっと分かったんだよ、鎌。君主に命を預けるってのがどういうことか。
「佐助、正直に言ってくれ!拙者を上に立つものとしてどう思う?ほんとうに君主らしくあれているのか?」
幸村が顔を覗き込むようにして尋ねてくる。早く教えてくれと言わんばかりだ。
自然と頬が緩んでいくのを感じる。決まってる。言いたいことはひとつしかない。
「君主だからとか隊長だからとか、そんなん関係ないでしょ。俺はアンタのもとで仕事できてよかったと思ってる。それにさ、俺はアンタの成長を見るのが楽しい。俺も一緒に成長できる気がして嬉しいんだよ」
驚いた表情をする旦那と目が合う。
「・・うん。でも、だから拙者はどうすればいいのだ?」
「なんにも。ただ自分が正しいと信じたことを信じていれば」
佐助が言うと幸村はおかしそうに、そして楽しそうに笑った。まるでさっきまでの翳りが最初からなかったみたいに。
「佐助は優しすぎるぞ。それじゃ拙者になにもするなと言っているようにしか聞こえないではないか!」
「そのままでいい。だって俺、そういうアンタのために働いてんだもん」
「なっ、何を血迷ったことを・・・」
今のセリフはなにかまずかっただろうか。恥ずかしいことを抜かすな!と幸村の目が言っていた。困ってはいるが心底嫌そうにしていない。
あれ、こりゃ脈アリかな?
「嫌いな人のために働くなんて不幸でしょ?でも俺は今現在とっても幸せです。何でだと思う、旦那?」
ああ楽しいなあ。旦那の顔がみるみる赤くなっていく。
「さ、佐助・・っ」
「どうしてだと思う?」
「・・・」
「それは、」
俺があんたを好きだから。
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